青春の日々をおくること

先日、なんとなく懐かしくて、野ブタ。をプロデュース第3話を観た。
自分が大好きな”学園祭”の回だ。


大学卒業を半年後に控える自分にとって、
この作品から強く想うものがあったので、これをエントリに示す。

「恐怖の学園祭」

作品の大筋を少し無視して、本エントリに合う形で回を要約すると、

  • 堀北真希が無理やり実行委員に任命されて、お化け屋敷をやる
  • 文化祭当日、準備したものが潰される
  • いろいろ大変だということで、遊びに来ていた他校生3人組をつかまえ、アルバイトとして雇う
  • 他校生3人組は、実はOB生の幽霊(生霊)で、忙殺される毎日に、楽しかった学生時代の学園祭を強く想っていた


また、途中で非常に印象的なセリフがある。

  • 「テレビゲームとか、やってるときは楽しくないんだけど、勉強してるときとかに思い出すと、楽しかったりする。楽しいことって、後になってみないとわからないんじゃないかな」
  • 「何年かしたらさ、思い出すのかな。朝早く3人で人形作ったこととか、夕暮れにすすき摘んだこととか。何年かしたら、<あの頃は楽しかった>って思い出すのかな」

時間の性質の違い

じぶんは学生時代(大学以前)、映画とかテレビとかゲームとか好きだった。
(話しづらいんで、これらを以下<シナリオ作品>と呼びます)
だが、大学生になり年を経るにつれて、<シナリオ作品>から距離がうまれた。
それは自分が夢中になれるものを見つけたからなんだけど、
<シナリオ作品>と過ごす時間と、<何かに夢中になる>時間って、本質的に違っていると思う。


<シナリオ作品>は、例えば普段の生活で悲しいことがあって慰められるような、それ以外にもたくさんの魅力があると思う。
けど、「後から思い出して」というよりは、「今楽しい!今慰められた!」って感じだと思う。
(この点で、ドラマで語られる意見と、自分の意見は食い違ってしまうのだが)


一方<何かに夢中になる時間>て、そんなに楽しくないし、むしろシンドイ割合が多い。
例えば、「部活で走らされた」、「マラソン大会不安だな」、「クラス変わっても友達出来るかな」。
でも、走らされた後みんなで話す時間、マラソン大会の後の開放感、新しいクラスでの新しい友達との出会い、
これって本当に素敵だと思う。

学生生活をおくる君たちへ

社会人と学生の違いって、いわゆる責任の部分だと思うけど、
責任ってむしろ精神的なものが大きいと思う。
何が言いたいかというと、つまり、「明日はこうしなくちゃ、仕事だからちゃんとしないと」「良い仕事じゃないけど、毎日食ってかなきゃいけないし」「いざ休みになってもみんな集まれないよね」「何か始めたいけど、時間ないしな」とか。


”青春”なんて、自分が学生の内はわからないだろうけど、<何かに夢中になる>ことが大事だと思う。
確かに<シナリオ作品>に比べその時間は、直接的な楽しさが無いし、シンドイ割合が多くて、魅力的に感じないと思う。
けど、一度ゲームや漫画を横に置いてみて、毎日の何気ない時間を最大限過ごすことを考えて見てほしい。
そしてそれは、別に”夢中になれるだけ、自分の中で特別なもの”なんかじゃなくて良い。
例えば、朝一番に学校に行き一番最後に帰る、わからないこと・やりたいことがあるなら気後れせずに考えてみる・やってみる、好きな子に告白する・話しかけてみる。
それは後々きっと、<シナリオ作品>で得られるような楽しさと違う、簡単で無い、素敵で大切な想い出になるよ。