「勉楽」 - ぼくは楽しいから勉強してる

「普段何してるん?」「ずっと勉強しとお」
ぼくの友人の多くは不思議な顔をする。
推測の範囲だが、どうやら「何が悲しくて勉強なんかしてるのか」と思うらしい。
さらに「楽しいから」という理由を伝えても、ぼくが何を言ってるのか把握出来ないようだ。


上の”ぼくの友人”の部分を”一般の人たち”に代えても文として妥当であるならば、それはとても悲しいことだと思った。
だから、このエントリで一から説明する。

受験勉強はクソの類

ぼくは、受験勉強ってシンドかった思い出しかない。
「将来のため」「選択肢を広げるため」そんなものは言い訳にしかならなくて、毎日毎日勉強、さらに勉強したはずのことが時間がたつと忘れてしまっている。


嫌な思い出は引き出しにしまっておいて、勉強に嫌なイメージを押し付けている犯人について、ぼくは「受験」だと思ってる。
そう思う理由は、人が直接的に勉強に関わる機会の9割は「受験」だろうから。
そうであれば受験勉強=勉強だと多くの人が捕らえてしまい、不思議ではない。

楽しい勉強って何?

ぼくの考える定義は「学校で勉強する範囲以外」である。
例えば「線型代数」に関して、
ぼくが、ベクトルや行列に抵抗がなくなったのは、
「コンピュータグラフィクス」を勉強してからだ。
「力学」に関して、
加速度や速度に魅力を覚えたのは、
アクションゲームを作ったときだ。


こうみたとき「応用」が楽しいのだとわかった。
実際、「物理」は数学の応用だから、学校で習うものの中では楽しいと思う。
そうなれば、下地になる「学校の勉強の範囲」を認めざるを得ないが、
”応用を知ることによって、その下地の部分も楽しくなる”のである。
楽しくない勉強だけをパッキングした「学校の勉強」は、やはり健全でないと思う。

楽しい勉強がしたい!

単純に考えて、人であれば知的好奇心を満たすことに喜びを覚えるはずだ。
だから、まず自分の興味のあることを考えてみよう。
たとえば、ゲームやアニメで「ギリシャ神話」に興味を持つのも良いことだと思う。
初めの一歩だからって、選り好みしたり緊張する必要はない。
そのまま続けば、初めの一歩なんて忘れてしまう。
今興味のあるものを、すぐ選ぼう。


次にその手段について。
ぼくのおすすめは「教養新書を読む」である。
教養新書は一般向けに作られているため、
その学問に知識がなくても、十分にたしなみを覚えることが出来る。

例えば、植物に興味があるのなら:

ふしぎの植物学―身近な緑の知恵と仕事 (中公新書)

ふしぎの植物学―身近な緑の知恵と仕事 (中公新書)

宇宙に興味があるのなら:
はじめての〈超ひも理論〉 (講談社現代新書)

はじめての〈超ひも理論〉 (講談社現代新書)


読書に慣れていなければ、初めは辛いかもしれない。
でも勉強の楽しみが分かるにつれて、その苦痛も緩和されるはずだ。


ゆとり教育

学校は、実際攻撃されたってしょうがない。
だって、今まで散々「厳しさ・熱血が
素晴らしい」と謳ってきたんだから。
でもぼくはゆとり教育”賛成”派!
だってゆとりがなくっちゃ、楽しい勉強が出来ないじゃないか。


リーナス・トーバルズは、大学在学中にLinuxを開発し、IT業界に大きな貢献を成し遂げた。
ただ、少し日本でなじみのある状況と話が違っていて、それを説明する。
リーナスはフィンランド人で、大学もフィンランドの公立校に通っていた。
そして、フィンランドでは学費が無料ということもあり、多くの学生が在学可能年数の許す限りで大学に長く燻るらしい。
ここがポイント。これは”ゆとり”以外の何者でもない。
そして、フィンランドの教育水準は世界でトップクラスなんだぜ。
2ちゃんねらーのみんな、”ゆとりが敵”って考えは、浅はかだと思わないか?

ところで「勉楽」って

辞書にない言葉なので、いくらIMEでもこんな変換ミス起こさない。

「べんがく」で変換しても、「勉楽」にはならないのんね♪学校で教えてくれるのは、楽しくないって事なのかのん?ボクにとっては、「音楽」は楽しかったからイイケド、楽しくない人には「音学」なんだのんね〜。学ぶ事は楽しくないのかのん?
http://denon.at.webry.info/200610/article_20.html


ぼくは「勉強」という言葉が嫌いだ。あと、「努力」とか「熱血」とかもクソ食らえ。
でも他に適切な言葉を見つけるのがすごく難しい。
そこでどうせだったら「勉強」の代わりに「勉学」っていいたい。
勉学を”勉楽”にひっかけて。