大学教員の無神経

昨年の卒研発表を観に行ったとき,こんな場面があった.

質問を受け付ける時間に入った時である.

ある教員が「スライドの右下に入っているUbuntuの文字は何ですか?」

Ubuntuというのは,アフリカの言葉で”思いやり”の意味です.

 観るひとに思いやりを持つのであれば,その文字は抜くべきでしょう」

うまい言い方なので,まわりの教員からも笑いがもれた.

しかし,じぶんはこれ程にも”思いやり”のないコメントがあるものだなぁと呆れ果て,

この教員に対する尊敬を失った.

disの文化

アメリカの黒人ラップでは,disの文化がある.

これは,語や意味に韻をふみ,高等な方法で罵ることで,

単なる罵りよりも強く罵る方法である.

そして,それをまわりの聴衆が高等な韻に対し,支持の意味をこめて声をあげる.


ようするに,さきの大学教員は,disの文化のように

本来の方法よりも痛烈に相手を罵った.

そして,それに笑いを漏らした教員も,

分別は同じである.(おなじゴミ箱に捨てて構わない)

さらに,黒人ラップとは違い,それらは文化として容認される場ではなかった.

状況の悪さ

さらにたちが悪い点は,

生徒にとって緊張が入り交じり,ばつが悪い卒研発表の場であったこと.

こういう場で罵られるのは,本人にとっては非常にこたえるもので,

そういった場で,disが行われた.

さらに,生徒にとっては教員に対し,下手に反論が出来ない点である.

それは,まず,生徒は教員よりも立場が非常に弱い点である.

教員の方が,無礼ではあるものの,すべての経験で大きく優れているためだ.

また,アドバイスの意味がこめてある点で,

下手に反論することが,逆にじぶんの立場を悪くする.

教員は頭でっかち

結局,無礼なdisをした教員は,”うまい言い方をしたかっただけ”である.

Ubuntuの意味がわかり,それをアドバイスと引っ掛ける方法を思いつき,

状況を考えずに無礼な発言をしたのだろう.

アドバイスは「Ubuntuの文字を抜いてみてはいかがでしょう?」で済んでいた.


なぜ今のタイミングでこのエントリを書いたかといえば,

さきの教員とは別の,顧問の教員に最近質問した際,

似たようなことがあり,同じような失望があった.


また,本人にはその実感がない時点で,さらに罪が重い.

本人(笑いをもらした他の教員も含めて)がdisした実感がなくても,

まわりに状況を把握したひとがいたはずだからだ.